清潔「観」と僕たちの死ぬこと離れ

ー祖母の家。食卓の隣に置かれたセミの抜け殻が4つと、セミの死骸1つ。
 ふと思ったことを書いておきました。

祖母の家を訪れた。「まあ、何か食べなさい。」と、孫の顔を見たおばあちゃんの決まり台詞を聞いて、僕はテーブルに座った。窓から差し込む光をたっぷり受けるポインセチアが美しかった。花弁、茎、花瓶と目をやった。花瓶の下には、セミの抜け殻が4つと、セミの死骸が1つ。ご丁寧に祖母お手製の赤くて小さな座布団の上に並べられていた。驚いた。おいしそうなお菓子とお茶を前にしても、それが気になって仕方がなかった。
 
 養老孟子が、現代人の生活から「汚いもの・怖いもの」は生活から遠ざかっている、といっていたことを思い出した。死生観と、清潔観、確かに言われてみるとそうだと思う。ぼっとんトイレは水洗トイレへと変わり、家族総出の出産、葬式は病院や業者による代行が主流となった。人糞を畑の肥料としていたなんて、もう歴史の資料集にのるくらいだ。それくらい、私たちの生活は汚いものから遠ざかっている、と思いながらコンクリートで覆われた帰路をたどった。

 「俺らのころは、食べ物がなかったからさ」と祖父は言っていた。確かに、潔癖症なんてことがある理由は、食料が十分にあふれている今、回し食べや回し飲みをしてみんなで同じものを分け合わなくてもいいからかもしれない。そうなるとそれは、一種の現代病なのかもしれない。農家だった祖母の家は、飼っていた豚を殺して、食べていたという。これを読んでいま、残酷な響きや嫌悪感を覚えただろうか。でも、はたしてそれは残酷なのだろうか。昔は生きると死ぬことが、生活にとなり合わせになっていただけで、これ見方を変えれば、スーパーで売っている数百円のパックに入ったものが豚だと思っている方が恐ろしくないかな、僕たちが命をいただいているという感覚を忘れているようで。

 話を戻すと、セミの死骸が食卓の真横にある祖母の生活は、時代の流れと共に変わった死生観と清潔観を反映しているようだった。死骸、つまり死ぬことと生きることは隣り合わせになっていた彼女らの感覚と、それに強烈な違和感を覚えてしまう僕。そこに違和感や恐れをもってしまうのは、時代の流れの中で「生きること」や「きれいであること」に慣れてしまい、『人』以前に、「死ぬこと」や「汚いこと」と隣り合わせだった『ヒト』であった感覚が薄れているからでなのかな、と思った。どちらが良いのかなんてくだらないことは書かないが、僕含め現代人が今を生きている中で感じなかったことに触れることができた時間だったとおもう。